暇人の一撃

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【ルールとマナーの考察】電車内でのメイクについて

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こんばんは。

先日、朝7時くらいに電車の中でメイクをしている女性を見かけました。

自分が先に降りてしまったのでわかりませんが、おそらく1時間くらいは座ったまま乗車して、メイクを続けていたのではないでしょうか。

向かい側の席に座っていた自分は正直、それを見て「家でやってくれないかな」と思いました。

確かに朝は時間がなく、またメイクには男性が思っている以上に時間がかかることを理解してくれと思っている女性も多いことでしょう。

そして1時間近く座っていられる移動時間があると来たら、電車の中でメイクをしたい気持ちはわかります。

それでも、なるべく家でやるべきじゃないかなあと自分は考えます。

その理由は、女性にとって、メイクをすることは「着替え」のようなものだと考えているからです。

だから、どんなに時間がなくてもほとんどの方はするし、それによって印象が大きく変わることがあるのもメイクと着替えの共通点です。

それだけ重要なものであるからこそ、ある人は電車の中という公衆の面前でもするのでしょう。

これから身近な人や大切な人に会ううえで、きちんとした身なりで会いたい、しかし時間がないとなれば、たとえ何人の知らない人に見られながらでも背に腹は代えられないのかと思います。

しかし、「着替え」を見せられている側としては、あまりいい気分はしませんよね。

それを不快に感じる人は、その行為をマナー違反であると考えているためです。

メイク中の顔というのは、見るに堪えないものがあります(失礼)。

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そういった状態をさらすことはある種のマナー違反であると考えられても仕方がない節があります。

しかし、この話の厄介なところは、それはルール違反になることはないので、誰にも禁止することはできません。

ここで一度、ルールとマナーについて整理したいと思います。

これにより、他にも様々な場面におけるふるまい方に関する規定のあり方を考えることができます。

まず、ルールとは簡単に言えば「しなければならないこと、してはいけないことの集合体」です。

これは必ず文章でコミュニティ全体に共有され、そのコミュニティのメンバーがいつでもアクセスできる状態にある必要があります。

たとえば、駐車違反をした人が「ここに駐めるのがいけないとは知らなかった」と言ったところで、駐車禁止エリアに関する規定が存在していて、運転手はいつでも確認できる状態にあった以上ルール違反となります。

一方、マナーとは「すべきこと、すべきでないことの集合体」です。

これは、ルールとして規定するには細かすぎる個別具体的な事例である場合と、一人ひとりの中にそれぞれ異なる体系を持っている場合があります。

前者は簡単で、たとえば、電車の中でヘッドスピンをしてはいけないというルールはありません。

ヘッドスピンをすると他の乗客が怪我をしたり、場所をとってしまったりと迷惑につながるので、マナーとして誰もそんな行為をしないことを期待されています。

しかし、電車内でのヘッドスピンが迷惑につながらない場合もあります。

電車がやたら空いているときなどです。

この場合、乗っている少数のお客さんにはそれをマナー違反と感じる人とそうでない人がいるでしょう。

これこそが「一人ひとりの中にそれぞれ異なる体系を持っている場合」です。

このように、マナーはルールブックなどには書かれていないために、それぞれの人が「その行為はセーフ。その行為はアウト」と判断できるわけです。

これが、意見の違いを生む原因となっています。

スポーツのルールとマナーの違いを考えてみると明らかですが、このように両者は似て非なるものです。

先の電車内でのメイクの話に戻ると、それが迷惑行為に当たるかどうかはなかなかグレーなところではないでしょうか。

腕が当たるとか、粉が飛んでくるだとかは立派な迷惑行為であるので、そのような被害を受けた場合には一種のルール違反となり、止める権利はあります。

しかし、多くの場合はそうではないのです。

言ってしまえば、一部の自分のような人が不快を感じるというだけです。

そういう人たちにとってはこの行為をマナー違反とみなしますが、他の人はそう考えません。

つまり、マナー違反につながるかどうかも怪しいし、もしそうだとしてもルールではなくマナーの話なので、誰もとがめることはできないのです。

ただ、マナーを守らないことは「他人を思いやらない」ことに近いと思います。

先にも述べましたが、ルールとして明文化されていない以上、ある行為をすること/しないことが他人から期待されているのです。

そのような他人の考えを念頭に置いたうえで、自分がそれをするべきか、しないべきかを考えるというのは、他人をおもんぱかることです。

であれば、電車内でメイクをするという行為は、それをしないことが「ある人」からは期待されているので、その行為に及んだ時点でその「ある人」から思いやりがない、やめてほしいととがめられてもしょうがないことではないでしょうか。

ただし、やめてほしいと考える明確で有力な理由はないので難しいところです。

「見ていて不快」と言うなら見なければいいじゃんと言われればそれまでです。

皆さんはどう思いますか。

(おわり)