暇人の一撃

SE(酒飲みエンジニア)による日記。できるだけ毎日更新。

たい焼きは大塩平八郎だった

スポンサーリンク

自分は、食べ物の好き嫌いは少ない方だと思っている。

例えば、トマトやキュウリは苦手ではあるものの、我慢して食べられるし、とんねるずの「食わず嫌い王」に出演することになってそれらを食べることになっても、まず間違いなく相手にバレずに食べきる自信しかない。

しかし、幼少期からどうしても克服できないものが1つだけある。



ししゃも(とか)の顔 である。



味とか食感とかではなく、体の一部分が欠けたそれを見ることが怖くて怖くてたまらない。

一口で食べようにも、口の中に生き物がいる感じがどうにも苦手なのだ。

27歳にもなったいいオトナがこんなことを言っているが、高校に上がるくらいまではもっとひどくて、たい焼きやらコアラのマーチやら、何かの形をした食べ物すべてが食べられなかった。

それも、小学生とか幼稚園の頃とかじゃなくて、中学卒業くらいまで。




よく、かわいい動物を模したスイーツとかを前に、女性レポーターが「食べちゃうのがもったいないくらいですう~~」とか言ってるグルメ番組を見かけることがある。

でも、結局女性レポーターはそれを食べてしまう、それが自分には信じられなかった。

だって、動物の形をしているということは、噛んだら確実に痛がるからだ。

何を言っているんだ?と思った人には考えていただきたいが、「痛がっていない」んじゃなくて「痛がっているのを伝えられない」のでは?という考えはできないだろうか。

彼らは、本当は痛くてたまらないのに、それを言葉で表現することも、動きで表現することも許されていない。

当時の純粋無垢だった自分(15)は、まるで生きていて、かじられたら痛いに決まってる、と本気で思っていた。

せっかくの形を崩すことが、生き物の体の一部分をもいで、その苦しむ姿を見るのと同じように感じられて、抵抗があった。



特に「たい焼き」は世界一かわいそうな食べ物だと思えないだろうか。

現に、同じことを考えている人が Yahoo! 知恵袋にいた。
(質問者さんは、最終的に回答者さんに洗脳されているが・・・)

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

そして、この話をすると真っ先に思い浮かぶのが「およげ!たいやきくん」ではないだろうか。

歌詞を要約すると、鉄板で焼かれる拷問が嫌になったたいやきくんが自由を求めて海に逃げ出して、海の中で楽しい生活を送っていたのに、釣り上げられて食べられてしまうという、大塩平八郎の乱のような(?)お話である。

つまり、たいやきは もともとは鯛だったからこそ、本能のままに広い海を泳ぎたくなったのではないだろうか。



他の動物の形をした食べ物も同様で「前世は動物だったのに人間の都合で姿を変えられた」説が出てくる。

コアラのマーチはもともとコアラ、おっとっとはもともと魚、サザエさんの人形焼はもともとサザエさん

姿を変えられて、「痛み」という感覚は感じても、それを表現できないように変えられてしまったのである、人間が躊躇なく食べるために。

そんなたいやきがある日、本能をむき出しにして、もとの世界に思い切って逃げた。

しかし、自由な生活はかなわなかった。

それ以来、たいやきたちは逃げたくても逃げられなくなってしまった。

人間の都合であんこを詰められて、熱い鉄板で挟みうちにされて、挙句の果てに「頭から食べる派か尻尾から食べる派か」なんて争い始める。

それって「頭から殺めて即死させるか、しっぽから殺めてじわじわと痛めつけていくか、どっちの殺人ならぬ殺鯛スタイルが好みか」というサイコパス的な議論が日々展開される。

ああ、人間とはなんと自分勝手な生き物だ。

たいやきの発案者もサイコパスに違いない。

あんこを内臓に模して、サイコパス的な消費者に、ひと噛みひと噛みで殺しを進めている感を与えるために、尻尾まで詰める。

また、あんこによって体を重くし、自由を奪う。

満足のいかない人や、飽きた人のためには、カスタードクリーム入りなんかも作って、殺しの連鎖に取り込んでいく。

こんな当たり前のようにむごいことが行われてるなんて、たいやきを喜々として食べる人間たちも、たい焼きそれ自身も、怖い!怖すぎる!!!





こんな世の中、狂ってる!!!!!!!





と、本気で思っていたのだが、高校に入学したあたりでなぜか、克服した。

今ではたい焼き、大好きだ