なんだか暗いタイトルだが、元気です。
今回は秋葉原の名店を紹介したい。
ついでに人生観について謎に語ろうと思う。
秋葉原にはたくさんのラーメン屋さんがある。
その中でも個人的におすすめなのが、昭和通りを少し進んだ雑居ビルの地下にある「紬麦」である。
ここのラーメンは、個人的に「人生最後の日、あるいは、地球最後の日に食べたいラーメン」第1位なのだ。
まず、お店の雰囲気。
秋葉原という繁華街の中で、場末感漂う雑居ビルの地下にあって、お客さんも心なしか人生最後のような顔をして食べている(失礼)。
そして、味。
らーめん 840円
優しい。忘れていた優しさに触れられる。
醤油ベースであり、イカのエグみも感じられる、五臓六腑に染み渡る味。
人生最後の日には優しさに触れたくなりそうだから、ここに来たくなるに違いない。
ここなら人生最後の晩餐にしてもいいかも(?)。
ぜひ、お試しあれ。
と、ここで、強引に本題に繋げる。
皆さん、終活はしているだろうか。
まあ、さすがに今から遺書を書いている方とか、自分が死んだ後のことを考えている人はなかなかいないだろう。
人はあんまり死と向き合いたくないから。
でも、どんな最期を迎えたいかくらいは考えたことがある人は多いのではないだろうか。
それで、大体の人は、大切な人に見守られながら眠るように死にたい、という風に考えているだろう。
ネイティブアメリカンのことわざに、こんな(感じの)ものがある(うろ覚え)。
「生まれるときは、自分は泣いて、周りは笑っている
死ぬときは、自分は笑って、周りは泣いている
そんな人生を送りたい」
WHY NATIVE AMERICAN PEOPLE !?!?!?!?!?
いやいや、ステキだとは思う。
でも、そんなに大切な人たちだったら、泣いてほしくないな、悲しませたくないな、って思ってしまう。
自分のことを思ってくれる人だったら、自分の死が近づいてきた時に不安になるだろうし、死んだ後もしばらくは立ち直れないだろう。
奥さん、家族、友人とか大切な人に、生命力がなくなっていく自分を見せたくない。
いつまでも、彼らの心の中の自分のイメージは、元気なままでありたい。
それがかなわないんだったら、いっそ忘れてもらいたい。
それか嫌われたい。
最低な奴だった、と思わせて自分のことなんか気にせずに生きてほしい。
なので、死が近づいて来たら、親しい人たちの元から姿を消すのもありではないだろうか。
「最低なあいつのことだから、どうせどっかでひっそりと好き勝手に生きてるんだろうな」って思わせて、誰にも気づかれることなく死にたいなって思う。
余命が迫ってくる前に、コツコツと内緒でお金を貯めて、一部は家族に渡す用に、残りは自家用船を買うお金にする。
そして、引き出しの奥かなんかに、感謝の手紙と一緒に札束を隠してそっと家を出る。
それで、しばらく経ってから置き手紙を見つけてもらって、そこには「僕の人生は、最高に幸せでした」のひとことだけ書いてある、みたいな。
余命が残り1か月ほどになったら、買った船で、太平洋の真ん中に出て、ワインを片手に、レイバンのサングラスをしながら沈みゆく太陽を眺めて、クラシックを聴きながら心地よい酔いの中で眠るように息を引き取りたい。
死体を残すと迷惑がかかっちゃうから、死んだ後に海に落ちて、サメかなんかに食われたい(船はどうするんだって話だけど)。
夢見すぎかな???